果てが分らないほど青く、青く続く空。
何処までも広がる蒼い、蒼い海。
その両者の曖昧な境界を見渡すことが出来る、この丘の頂に彼女は立っていた。
風に散らされた白い花弁が舞うその場所は正に世界の美しさを表していて。
世界があり、其処に愛して止まない彼女がいる。
当たり前にある姿が嬉しくて、それだけで満たされるのをガイは感じた。
気が付けば、思わず足元に生える野草を踏み締めて、駈け出していた。
愛おしいその身を求めて。
I will give you all my love.
「ルーク!」
「ガイ?」
声を張り上げ名前を呼べば、当然のように目前に佇むルークからの応えが返ってくる。
ただそれだけのことに胸に想いが込み上げ、目頭が熱くなるのをガイは感じた。
堪らない気持ちになり、眼前に迫った華奢な肢体を引いて己の胸に招く。
肌に伝わる心地の良い体温や鼻腔を擽る甘い香りが、現の存在であることをガイに伝え、
堪えることが出来なかった雫が重力に従い、ルークの首元に落ちた。
「ガイ……泣いてるのか…?」
温い液体が肌を滑る感触を得て、ルークは翠緑玉の不安げに揺らす。
「うん…でも悲しいわけじゃないからないな……」
「そうか…」
ガイの口から紡がれた音の色に彼の真意を知り、ルークは瞬時に表情を和らげた。
そうして力強く抱きしめる腕に彼の想いと宿す感情を知り、ルークもまた瞳に水を張り、悦びを噛み締めた。
もう二度と放さない。
もう二度と離れないないと誓った決戦前夜の日から二年の月日が経っていた。
死にゆく少女は偽りの微笑みを顔に貼り付け、永遠を男に誓い、男は素知らぬふりでその茶番劇に乗って互いを満たした。
知っていたのだ。
男は少女の嘘を。
少女は男の優しさを。
だが心を満たす為に、明日敵を打ち倒す為に、逃げ出さない枷を創る為に、お互いに偽りの永遠を誓い合ったのだ。
ルークが逝った後、ガイはすぐに後を追うつもりだった。
彼女のいない世界など、無意味だと思ったからだ。
だが―――
ルークの遺した、救った世界のなんと美しいことか。
ルークは最期に笑顔で約束したのだ。必ず帰って来ると。
それらはこの世に未練を作り、現世にガイを縛り付けた。
ルークの傍に逝きたい、この世界でルークを待ちたい。
その葛藤に何も手につかず、ただ生きているだけの生活をした後に漸く気が付いた。
自分が何をしたいかを。
自分は、彼女を信じたいのだと。
あの偽りで塗り固められた夜に交わした誓いの言葉を、――――永遠を。
目が覚めたような気がしたのだ。
ルークの約束を信じる、信じ切る。信じて、信じて、信じ抜く。
この心臓が脈打つ限り、この口で呼気を吸う限り、この想いが在る限り信じ続ける。
それがこの世界にいる自分の勤めである。
そう思い込むことにした。
ガイは静かに前を見据えた。
眼前にはルークが救った世界がある。その世界に彼女を忘れず、想う自分がいる。
今なら全てを信じられる、そう思った。そうして得たものは。
「どうしたんだ…ガイ?なんか心ここにあらず、みたいな顔してるぞ…?」
少し視線を落とせば目に映すことが出来るルークが己の腕の中にいた。
すっぽりと腕に納まる華奢な身体には絹で作られた純白のドレスを纏い、取った左手の指には、
同様の素材の手袋越しに自分と揃いの指輪の感触を確かめることが出来る。
「ん…いや、そんなことないぞ。俺の心も体も居場所はお前の傍だしな」
「な、何言ってんだか…。バカガイ…」
自分のものになったルークを見つめるだけで自然と零れる笑みをガイは耐えられず、それを素直に露呈する。
対して、ルークの口からは罵倒が発せられたが、それすらも可愛いと思う自分は相当末期のようだとガイは苦笑いを浮かべた。
(まったく…なんて可愛いんだか。俺の、お姫様は…。…なにか…思わず……)
「お前…今変なこと考えただろう…?」
「いえいえ。ルーク様のお気に障るようなことは何も」
「嘘を吐けぇぇ!!」
「痛い、痛いって。ルーク」
ガイの心内を正しく読み取ったかどうかは定かではないが、だらしなく緩んだ表情に何か善からぬことを考えていることを悟り、
羞恥が込み上げルークは拳を作りガイの胸を打った。
大して痛くもない拳を受けながら、やがてはじゃれ合いに変わり、二人の声が渓谷に響く。
どのくらいそうしていたか。
やがて二人は言葉を失い、それが自然の流れであるように軽く触れ合うだけのキスを交わす。
名残惜しさを感じながら、しかし溢れる幸せにルークとガイは視線を合わせ笑った。
「もうそろそろ、行こうか」
マルクトでの式の時間を考えると、そろそろ馬車に戻ることが望ましいであろう。
そう予見しガイはルークを促した。
「もう…少しだけ…」
ガイの言葉に去り際を知り、ルークはもう一度だけと渓谷から覗える景観を振り返った。
果てが分らないほど青く、青く続く空。
何処までも広がる蒼い、蒼い海。
それらを空間から切り取り、見事な絵を作っている渓谷。
自分が救った地を、再び愛おしい仲間達と逢い見えさせてくれたこの地を、眼に焼き付けるようにルークは見ていた。
キムラスカ、マルクト両国で式を挙げると決めた時から、ルークはこの地に立ち寄ることを望んでいた。
変貌していく世界をより良くしようと、次期ファブレ公爵としての責務をこなしている以上、
ゆっくりとこの地を訪れることは出来ない。
今、食い入るようにこの地を見つめているのはそのためであろう。
生きる、生き抜く希望を与えてくれたこの場所を忘れないようにするため。
あの戦いで、真にこの世界を想い散っていった数々の命を覚えておくため。
ルークの両手はいつの間にか、祈る様に組まれていた。
「行こうか…」
「ルーク」
やがて組んだ手を外して身を翻し、ルークは歩を踏み出した。
その背にガイは声を掛け、彼女の歩みを止める。
「なんだ…?」
疑問を含んだ顔に笑みを返し、ガイは少し離れた場所に立つルークの元に歩み寄る。
そして無抵抗に下げられた手を恭しく取り、その地に膝ま付いた。
「なっ―!!」
「この身は貴女様のもの。我が命ある限り、貴女が生きるその地で私も生きましょう。
貴女が身を滅ぼし土に還る其の刻には、私も共に逝きましょう。
今この時より、貴女の傍から永遠に離れぬことを我が手に取った、貴女の左の手に誓います」
流れるように言葉を紡ぎ、そのままの動作でルークの手の甲に口付けを落とす。
婚礼儀式の際に身に付ける騎士の衣装を身に纏い、ガイが成したのは正に騎士の忠の儀式で。
「な、な、なに、してっ!」
ルークを昇天させるには充分であった。
ガイの予想通り、顔全体を真っ赤に染め上げたルークがそこにいて。
そして次の瞬間には、告げられた想いに照れ隠しのためにガイを打撃する為に両手を上げていた。
その軌道を読み、難なくかわしながら、暴れる両腕の手首をガイは捕える。
「そのままの意味だよ、ルーク。俺はお前の傍から二度と離れない。
それを他でもない俺自身に、―――お前自身に誓う」
そうして先程までのおちゃらけた雰囲気を取り去り、真撃な視線を一心で送る。
それはガイが本気であることをルークに教えた。
「これから先、何があっても放さない。守り抜いてみせるから」
「あ…」
覚悟しておけよ。と、表情を緩めて言葉を付け足した後、再び立ち上がり未だ立ちつくすルークの肢体をガイは柔らかく抱き締めた。
呼気を吸うと渓谷の木々の香りに混じりガイのそれを感じる。
それにルークはこの世界に、ガイの在る世界に還ってきたという実感を確かなものにした。
それはルークに決心をさせる。
「本当に出発しないとまずいな」
式までの時間が無いことを西に傾き始めた太陽で知り、ガイはルークを抱いていた腕を解くと、
垂れたルークの手を取り足を踏み出した。
「とっ――!」
だが、それはすぐに止められる。
前に踏み出そうとするガイの意思とは逆の方向に力が働いたのだ。
つまり後方から引かれたわけである。己の右手と繋がっているルークの左手によって。
「ルー…つっ―――!!」
不審に思い振り返ったその瞬間。
唇がルークのそれで塞がれた。
己のものよりも断然に柔らかいそれが心地良い。
「ん……」
暫くして、繋がっていたそれがゆっくりと離れていった。
触れるだけの口付けであったが、想いが籠められたそれにガイは酔わされる。
「ルーク…?」
ルークから施されたキスに素直に悦びを感じるものの、あまりの突然の出来事にガイは疑問を呟いた。
「俺もっ―――」
それに返ってきた答えは。
「俺もガイに誓うからっ!もう二度とお前の傍を離れないっ!!もう二度と放さない!だから…だから……」
もうガイはひとりになることはないよ。
心内で想っていた言葉を一気に吐き出した為、呼吸が追い付かずルークは酸欠に喘いだ。
その為、続く言葉が口から語られることは無かったが、ガイには確かに届いた。
ルークの自分を想う、想いが。
ガイは再び目に熱いものが込み上げるのを感じ、情けなく涙する姿がルークの目に
入らないようにルークを引き寄せ抱き締めた。
「ルー、ク…ありがとな……」
「な、泣くなよな…男のくせに…」
可愛げのない照れ隠しの罵りまで可愛いと思うとは、自分でも相当末期だと思ったがかまわなかった。
「ルーク、本当に…ありがとう」
生まれて来てくれてありがとう。
一緒にいてくれてありがとう。
傍にいてくれてありがとう。
共に生きてくれてありがとう。
彼女にはいくら感謝をしても、全然足りない。
何しろ、この世界に己を生かしてくれたのだから。愛してくれたのだから。
この恩は一生を以って還すべきだ、そうガイは思った。
「ガイも…ありがとう」
「いや…さあ、て。続きは夜にして、出発しようか」
「つ―!!馬鹿ガイ!エロガイ!!」
己の昂ぶった気持を沈める為に、余計と言える一言をガイは発してルークの手を取り来た道を戻り始めた。
渓谷にルークの上擦った甲高い声が響く。それを耳を傾けながらガイは前を見据え歩み出した。
今なら全てを守ることが出来る、その力が今の自分にはある。ガイはそんな気がした。
何せルークが己の傍にあるのだから。
己の持てる全てを以ってこの腕にある温もりと生き抜く決意をして進み出した。
煮え切らない中途半端な話ですいません(汗)
2008.4.5