きっかけなんて、きっとそんなに大切なものじゃない。

現に俺がこいつを好きになった理由なんて、いいかげんなものだ。

最初は本当に、『女なのに触れる』それだけだったんだから。

約十年振りに触った女の身体は、柔らかくて温かかった。

そうして触れ合っていくうちに、いつの間にか掛け替えの無い存在へと変わっていったんだ。







紅い兎を追いかけるアリス







今日はイフリートデーカン、41の日。何の日かと聞かれれば、俺の誕生日だ。

もちろん、俺の素性に関わることであるから、ファブレの屋敷に入る際に提出した履歴には嘘を記入してある。

というか、履歴の全てに偽造をしているが。

だから、この屋敷で俺の本当の誕生日を知っているのは三人だけ。俺と俺の従者であるペールと。

そして、今俺の目の前で上機嫌に習ったばかりのダンスのステップを踏んでいる、この屋敷の深窓の令嬢。ルーク。

授業の時は嫌がり、教師から逃げ回っているくせに。そのステップは優に素人を超えている。

これだけ踊れることを見せてやれば、家令に「ルーク様は貴族女性のお心をお持ちで無い」と嘆いているあの教師も救われるだろうに。

ルークは自分が結構何でもそつなくこなせることを、他人に見せたがらない。

それは幼き日、男だった頃の自分と比べられることによって芽生えた、劣等感からくるものなのかもしれない。

まあ、俺の前では、ルークは自分が出来るようになったことを素直に見せるし、思ったことを言うし。

そんな悩みを持つことは、まず無い。

つまり俺はこの屋敷の中で一番ルークに好かれているわけで。

先立っては、胸の内にある想いも伝えて、「考えておく」とルークの中では最上級に近いお言葉も頂いたし。

一応は、現状に満足している。

本当は割と好んでいるダンスを、誕生日プレゼントだと言って、俺にだけ見せてくれるのも嬉しい。



しかし、だな。







「ルーク…お前その格好は何なんだ…」

恋心と同時に親心を持つ俺にとって、ルークが今身に着けている衣服は頂けなかった。

「はっ…?なんだよ、その顔…。一応、正装してきてやったのに…」

まあ一応は正装ではあるのだろう。いや、まぎれもなく貴族女性の正装なのだ。

ルークが身に着けているドレスは、最新の流行のもので時代にも沿っている。

だが、最近の意匠はどうも貴族に相応しいとは思えない。

何せ、今ルークが纏うドレスは胸元が大きく開き、年齢からみるとかなり育った、その…谷間がかなり際どいところまで見えている。

腰を締め、裾に向かって膨らむスカートは、前部分は膝上丈までしかなくて。

つまり見様によれば、男にとってはかなり官能的な恰好なのだ。

しかも相手は自分が惚れている奴で。

この密室下で、こんな格好をしたルークと二人きりになるのは非常に不味かった。

というか貴族社会の制度でいえば、男の寝室に女が訪ねる。この時点で既にルークは据え膳状態なのだ。

「が〜い〜?」

普通この先にある営みを想像してしまい、思わず生唾を飲み込めば、俺の態度を不審に思ったのか。ルークが顔を覗き込んでくる。

前屈みになったことでより強調された胸に、俺は顔を赤らめ鼻を押さえた。

そんな俺を見て、何かに感付いたルークがにやにやと厭らしく笑った。

「ははーん…?」

「な、なんだよっ?」

上擦った声で聞き返す様は、少し情けなかったかもしれない。ルークの笑みが濃くなる。

そして。

「溜ってるんだろ?」

その愛らしい口から零れた出た可愛らしい声にそぐわない言葉に、開いた口が塞がらない。

深窓の令嬢といっても、屋敷に騎士団があるせいか。ルークは男社会に非常に詳しかった。

おそらく「溜る」の意味も正しく理解している。

「な、な…なに言って…」

「図星か」

貴族の名が効いて呆れる。そうは思ったが、俺には余裕というものがこれっぽっちもなくて。

諌めることも出来ず、魚の様に口を開閉することしか出来なかった。我ながら本当に情けない。

俺が「溜っている」ことに確心を持ったルークは益々口角を吊上げている。

更に、こともあろうか。

「俺がやらせてやろうか?」

なんてな。と語尾には冗談を示す言葉が付いていたが。

ルーク。世の中にはその状況によって、言っても良い言葉と駄目な言葉があるんだ。

そしてお前が今、口にしたものは明らかに後者。

自分に想いを寄せている男に決して言って良い言葉ではない。これは不味い事だ。

屋敷の連中、白光騎士に始まり下男まで周りにいる男は皆ルークの言う事に従うし、危害を加える事はありえない(ただし俺を除いて)。

当代の筆頭貴族の令嬢に手を触れる、愚か者も屋敷の中にはいない(俺を除けば)。

それ故、ルークは男をどこか馬鹿にしたような態度を取ることがある。危機感を全く持っていないのだ。

今も、俺の部屋に来るまで肩掛けも羽織らず、この恰好のままで来たのだろう。

晒した肌に、擦れ違った何人の男が視線を送ったのかを考えると、嫉妬に腸が煮える。

そいつらの始末は後回しにして、今はルークだ。

これは非常に不味い。ルークの男を舐め切ったこの態度。

俺が攫うにしても、このまま屋敷で健やかに育ち社交界に出るとしても、いずれ外に出るのだ。

その時、この認識の甘さはきっとルークに害を為す。

ルークも今年十五歳。そろそろ子作りの事を知った方がいい。

そして合意の伴わないそれの恐ろしさも。一方的に植え付けられる恐怖も。

欠片でもいい。何とか危機感を持って欲しくて、俺は行動に出た。

背を見せ、油断し切ったルークの下ろされた手を掴み、俺が座るベッドに引き倒す。

「ってぇ…!痛ってぇ!!ガイ、何すんだよっ!!」

マットレスに打ち付けた背に、掴まれた手首に走る痛みにルークは大口を開け、俺の行動を非難した。

その間も、暴れるルークの腕を片手で押え込み、もがく身体を覆い被さることによって制した。

いとも簡単に捕えられたことに怒り、ルークは必死に暴れる。

だが、それは一向に外れることはなく。

「え、あ…な、何…?」

自分の身体が全く思うように動かない状況に陥った事に、漸く気付いたルークが不安に声を上げた。

しかし俺はルークの問いには答えずに、努めて無表情を作り唇を耳に寄せそれを食んだ。

「あ、え、あっ…やめ、が、い…!」

わざとくちゅくちゅと音を立てて俺は舐め上げ、舌で首元を這い、辿り付いた鎖骨に強く吸い付いた。

「やっ…」

そうして俺は一度顔を上げ、不規則な呼気を繰り返すルークの顔を覗き込んだ。

ルークは羞恥に顔を真っ赤に染め上げていた。知らない状況に、迫り来る恐怖に悲鳴を必死に抑えている表情。

それにここで止めておこうと思っていた気が薄まる。愛しさ故の嗜虐心に、もう少し苛めたくなってしまったのだ。

引き攣る顔に俺は一度、意地の悪い笑みを落とすと大きく開いた胸元に手を伸ばした。

コルセットに手を掛け、引き降ろす振りをした瞬間。

「やぁっ!やだぁ、嫌だぁ!!怖いっ!怖いよぉっ…ガイぃ!」

ルークは大きな瞳から涙をぼろぼろと零し、小さな子どもの様に泣きだした。

やっぱり、やり過ぎたか。そう反省して俺はすぐさま腕を解いてやる。

「ルーク…?…ごめんな…」

これ以上怖い思いをさせまいと、俺はルークが好む笑顔で優しく頭を撫で、謝罪した。

いつものガイに戻ったと認識したルークが、救いを求めて縋り付き、俺の胸元に顔を埋めてくる。

俺が怖いと言って、それでも俺に縋り付いて泣く姿は愛しさが募るばかりだった。

「こわ…怖かったよぉ…がい、ガイぃ!もうあん、なこと、しないでぇぇ…!!」

それは約束出来ないことだったが、ここはルークを安心させる為に頷いてやった。









暫く嗚咽した後に、落ち着いたルークの肩を抱きながらベッドに二人並んで座り、

今後あんなことを言わないようにと諌めた。

「お前は剣術もやってるし、普通の女性よりも強いと思う。でもな。俺じゃなくても男なら、

お前をさっきみたいに押さえ込むことは簡単に出来る」

だからこれからは気を付けろよ。あまり男を挑発するようなことはするな。と続けた俺の注意にルークは暫く思案した後に。

「ペールでもか…?」と言ってきた。どんな男にも敵わないと言われたことが癪だったのだろう。

ルークは高齢で、ただの庭師に見えるペールまでを引き合いに出してきた。

そんな虚勢に近いルークの見栄を可愛く思い笑みが零れる。だが、引き合いにする相手が悪かった。

相手はああ見えても百戦錬磨の騎士だ。

俺は瞬時に無理だと言い返す。

「ペールならお前を打ち負かすなんて朝飯前だ。赤子の手を捻るようなもんだぞ」

俺の言葉にルークは面白くなさそうに眉を寄せたが、今度は大人しく従った。

「…分かった………」











「ガイ…キスして…」

もうそろそろ夕食の時間だと思い、ルークを食間へと促すと急に口付けを求めてきた。

お嬢様のご期待に沿おうと、その滑らかな頬に口付ける。だが、それは気に入らなかったようで。

「違う!口に!!」

何て、深い意味を持つ箇所への口付けをせがんできた。

まったく。俺が「溜ってる」の知ってるくせに。何て娘だと思いながらも、せっかくの誘いに乗らない手はない。

「ふっ……」

ねっとりと唇を食む口付けを施してやる。

そして名残惜しげに離れれば、今度はルークが俺の頬にキスを落としてきた。

驚きに目を丸くした俺をおいて、ルークは部屋から走り去っていった。

小さくなる背を見ながら赤らんだ顔を思い出し、あのじゃじゃ馬姫のルークが俺のものになる日もそう遠くはないかもしれないと思った。

















いつも、いつも小さい足をバタつかせ、俺の後を追いかけていたのはルークだった筈なのに。

小さなアリスはいつの間にか美しい紅い兎に成長して。

気付けば立場が入れ替わり、俺が必死に追いかけていた。

でも、今。その追い駆けっこの終りが見えているような気がする。

並んで手を繋ぎ、女王様のお茶会に行ける日はそう遠くはないだろう。

その時には、俺の空いている方の手には、君の大好きな甘いお菓子をいっぱいに詰めたバスケットを持って行こう。

そして君の空いている手には、二人の命の宝物があるといい。

これが、俺が誕生日に願った夢。

俺は誰にも気付かれぬよう、小さく祈った。近い将来。必ず叶うことを。











一応ガイのお誕生日の話なのですが、それが薄い(汗)
しかもどれだけ気が早いんでしょう私…。
ガイの誕生日まで1か月以上ありますね…。

2008.4.26