紅いお姫様のなぞなぞ



「…なあ、ガイ」

「んぅ?」

今日も今日とて俺は子守と称してルークの部屋に居座っていた。

それもこれも、愛しさゆえにルークの傍に一秒でも長くいたいと願ってのことだ。

渋るルークを諌めながら勉強をみて、おやつ時になれば菓子を与え、午後の陽気にまどろみ始めれば柔らかい髪を

梳きながら眠りへと誘ってやる。

傍からみれば立派な子守だが、その中には下心があって。実はそんなに純粋なものではない。

ルークの寝顔が見たい、とか。眠っている間に、その…ちょっと触ってみたいとか。

そんな俺の欲望によって寝付かされていることをルークは知らない。

告白してから早数週間。未だはっきりとした返事がある訳でもなく。

曖昧な関係に苦い思いをしていた俺はそんな手段で、迸る欲を逸らしていた。

先程、ベッドの上で舟を漕ぎ出したルークに、今日もお零れの様な温もりに触れることが出来ると悦んだ俺は、ベッドの傍に椅子を引く。

そうして片手には音機関の書物、もう片方の手は枕に沈むルークの頭に置き、完璧な『子守』を演じた。

瞼を重そうにしているルークに、「早くおやすみ」と囁きながら俺が書物に目を落としたのは数分前。

そろそろ寝た頃かと思っていた時に、やけにはっきりした声で名前を呼ばれ、思わず生返事が出た。

寝言かもしれない。かなり無理があったが、俺は自分にそう言い聞かせ、敢えてそれ以上何も返さなかったのだが。





「なあ、ガイ?」

再び耳に届いたルークの問い掛けに俺は顔を上げた。

目に入ったのは、さっきとは裏腹に大きな瞳を完全に開いたルークの姿で。そこには眠気など一切感じられなかった。

「どうした…?」

どうやら今日ルークはお昼寝をする気が無いらしい。

そう悟り僅かな失望を感じながらも、いつもより長い時間ルークの愛らしい声が聞けるのだと悦ぶことにした。

「あのさ……『しのんでおしたいもうしあげたてまつりまする』ってどういう意味だ?」

「はぁ?」

ルークの言った言葉はもう予想外の範疇を超えていて。「なんかの暗号文か?」と続いた言葉は碌に聞こえていなかった。

俺の頭の中は、どうしてルークがそんな古典的な言葉の表現を知っているのか。

そんな疑問と嫌な予感が廻っていた。

「なぁ…ルーク。お前、それどこで聞いたんだ…?」

「うん?これに書いてあった」

ルークが差し出してきたのは、箔押しがされた高価な羊皮紙の紙。

嫌な予感の的中を感じながら、俺は手紙と見て取れるそれを受け取り、破る勢いで綺麗に畳まれた紙を開いた。

目に入ったものは予想通りのもので。手のひら大の大きさの羊皮紙の上には、所狭しと愛を囁く言葉が長々と書かれていた。

そして最後の一行にルークが聞いてきた問題の一文、『忍んでお慕い申し上げ奉りまする』がある。

ルークでなかったら、一目でこの手紙が何なのかが分かったであろう。これは明らかに『恋文』だった。

「これ、どこにあったんだ?」

「えっ…と…今朝起きたら、ドアに挟んであったんだけど…」

静かながらも、怒っている気配が分かるのであろう。俺の様子に怯えを感じながら、ルークはたどたどしく教えてくれた。

どこの誰かは知らないが、随分舐めた真似をしてくれる。

そんな場所に手紙を忍ばせることが出来るのは、大方、白光騎士だろう。



今に始まったことじゃない程に、ルークは俺との仲が疑われていた。それもそうだろう。

普段から、主人と使用人に必要な距離は零で、四六時中べったりと張り付いているのだからだ(主に俺が)。

俺が屋敷に入って十数年。ルークが俺に手籠めにされているのではないのか。

そんな噂が幾度となく流れた。

もちろんボロを出す俺では無いし、口付けはさて置き、実際は何もないからだ。情けないことに。

しかし屋敷内だけでのことではあるが、つまりルークは他の男の手付きと噂されているのだ。

これは社交界に生きる貴族女性にとって、致命的なことである。

普通、婚前の娘が男との噂を立てられれば、事実はどうであろうと関係ない。

阿婆擦れと称され、まずまともな結婚は出来やしない。

何より、情人がいると知れている女に文を贈るなんて―――あってはいけないことだ。







「が、…ガイ…?」

「ルークこの紙にはな…」

俺は最上級の笑顔を造り、ルークに向き直り口を開いた。

何はともあれ、相手が悪かったな『誰か』さんよ。

ルークは古代イスパニア語を学んでないし、フォニック言語でも古典表現は習っていない。

つまりこの文章の意味を自力で知ることは、無いという事だ。

「…この紙には、朝食の献立が書いてあるんだよ」

「はぁっ!?」

俺の解答は余程予想外のことだったらしい。ルークは大口を開け、奇声を発した。

「ほら。こないだ、新しい女中が入っただろ?お前付きの」

そんなルークを落ち着かせる為に、髪を手に取り梳きながら俺は尚も出鱈目を紡ぐ。

「あの子は、もとは下層の出身でさ。作法がよく分かってないそうなんだ」

「…」

「だから、朝食の献立を書き出して伝える。そんなことしちまった、て所じゃないかな?」

「で。『お慕い申し上げ奉りまする』てのは、『ご朝食は何時になさいますか?』て言う意味だ」

「…」

「解ったか?」

無理矢理の割には、上出来な訳じゃないか。

冷静に考えれば、ちっともそんなことない思い付きの言い分に俺は満足して自然な笑みを浮かべた。

これならルークも納得するだろう。そう、思っていたのに。

「ふ〜ん…」

返された言葉は冷たく、溜息までも付いてきていた。

頭を掻きながら、目線を明後日に向ける様は、どこか呆れている様にも見える。

「る、ルーク?」

「…もういいわ………」

納得しているようにはとても見えず。

誤魔化す言葉を模索しながら口を開いた俺を、ルークが遮った。そうして無言で部屋の扉の方へと指をさす。

『もういいから、出て行け』を意味する合図だった。

なんだかよく分からないが、ルークの機嫌を相当損ねてしまったらしい。

「ル―――」

「行けよ」

鋭い視線が、言い訳を募ろうとした俺を制し、為す術が無いことを知らせた。

ここまで不機嫌になると、流石の俺でもなだめる事は出来ない。出来るのは、ルークの機嫌が直るのを待つことだけで。

どうすることも出来ないことを漸く悟り、俺は踵を返して、とぼとぼと出口となる扉へと足を向けた。

「これも持って行けよ」

ノブに手を掛けた際、後ろ手を掴まれ手紙と同じ素材の封筒を押し付けられる。

その封筒には膨らみがあり、まだ何か入っているようだった。面白くなさそうに顔を歪めながら、俺はその開かれた封の口を開けた。

「クローバーと…桃…?」

中から出てきたのは、押し潰され乾燥した花。所謂、押し花と言われるものだった。

「これ、手紙と一緒に入ってたのか?」

俺の疑問にルークは音無く頷いた。

そうして、あまり見かけない目新しい花―――部屋の花瓶から引っこ抜いたのだろう。右手に持っていたそれも押し付けてきた。

「やる…リナリア」

「あ、ありがとう…」

意味は全く解らなかったが、お嬢様直々に下さるものだ。

下僕にそれを断ることは許されてはいない、と俺は抗うこと無く受け取った。

「お穣様のご機嫌が早く直ることをお祈りしていますよ」

「んふっ…ぅ…」

口は聞いてくれたが、機嫌が直っている様子が無いルークに恨み事の様な言葉を落とし、怒りに顔を上げた処にキスを奪う。

「いきなりなにすんだっ!この馬鹿っ!!」

通り魔のようなそれに益々眉を吊り上げたルークに背を打たれながら、俺は部屋から追い出された。







「桃に…クローバーねぇ…?」

ルークに貰ったリナリアという花の芳しい香りを嗅ぎながら、俺は掌の内にある乾燥した花に目を落とした。

好きな女性に贈るにしては、色気のないそれに怒りの前に呆れが感じられる。

同じ花を贈るならもっと良いものが沢山あるし、第一、組み合わせが悪すぎる。

これを贈った男は余程色事に慣れていないのだろう。堅物な騎士団育ちに違いない。

ルークに暇を出されたこの隙に、俺は取り敢えず、今朝の中庭警備に就いていた奴を突き止めるべくして動き出した。

柔らかさを失った花弁が割れ、その欠片が風に舞い、空高く消えていった。









それから暫くルークの機嫌が直ることはなかった。

あの日のことを話題に持ち出すと必ず怒り出すようにもなった。そして俺を不審の眼で見るのだ。

俺は益々意味が分からず、途方に暮れた。

俺は気付くよしも無かったが、部屋に眠る、乾燥した飾り気のないリナリアは無言でずっと訴えていた。










またも意味不明文。
ガイの嘘の吐き方がすごい子供。ありえませんね…(汗;
花はようするに、ガイと同じ想いを抱いている奴がいる、ということですね。

2008.5.6