アリスがいぬ間に初めての
控えめに二度、木目のある扉を叩けば、すぐに返事が返ってきた。
それが予想していた人物のものとは違ったことにルークは驚く。しかし、これは好都合だ。
気を取り直し、きいと音を立てて押し開いた。
「ジェイド…。ガイは?」
「ガイなら先程買い出しに向かいましたよ」
今日は彼が当番なので。ジェイドは目を落としている本から顔も上げずに答える。
だが、その失礼な態度をルークは気にしなかった。
それよりも。返ってきた声に予測が確信に変わり、ルークの胸は弾んだ。
鬼は―――ガイは今いない。これは千載一遇のチャンスだ。
ルークは逸る気持ちを抑えて、声を上擦らせないように気を付けながら口を開いた。
「そ、そっか…。ふ〜ん。じゃ、じゃあ俺も買い出し行ってこようかなぁ?」
興奮しないように気を付けたつもりだったが、やはり声が震えてしまう。
それでも不自然ではないだろう。自分で結論付け、ルークは今から外出する旨をジェイドに伝えた。
「あなたがこの街で。一人で、ですか?この時間から?」
普段からあまり他人に干渉しないジェイドだ。
自分が何気なく発した(そう思っているのはルークだけであり、実はとても不自然だ)
言葉などさらりと流し送り出してくれるとルークは思っていた。
だが、ここで初めてジェイドは本から顔を上げ、明らかに怪訝な表情をしている。
「ここは、あまり治安が良い街ではありません。あなたみたいな子供が一人で出歩くのは、関心出来ませんね」
「えー…」
返された予想外の言葉にルークは顔を顰める。
「『えー』じゃ、ありません。何かあってからでは遅いのですから。欲しいものがあるなら、半時ほど待ちなさい。
貴女の使用人が帰ってきますから」
そしたら一緒に行けばいい。
続いたジェイドの言葉に、ルークは明らかに不満そうに眉間を寄せた。
(だって…それじゃ、今までと変わんねぇじゃねぇか…)
自分は現在十七歳(本当は七歳)。
貴族の男が十五歳で社交界に出て、大人になることを考えればもう十分大人である。
ルークは間違いなく女だ。しかし、男として育てられたせいか。思考はどちらかというと男性よりであった。
そんな一人前の大人が、供を付けなければ買い物にも行けない。そんなことは恥ずべきことだ。
あってはいけない。ルークの頭は今正に、そんな誤った漢らしい考えで埋め尽くされていたのだ。
「そっか…そうだな。別に急ぎじゃねぇし。ガイが帰ってくるまで待つよ」
「そうして下さい」
片手を上げ頭上でひらひらと揺らしながら、後ろ手に扉を閉めるルークの背を、ジェイドは見送った。
宿の部屋の窓から街中に走り去るルークの背姿が見えたのは、それから間も無くのことであった。
「やれやれ…困ったお嬢さんですね」
露店が並ぶ大通りまでルークは振り返らず走り抜けた。人混みの雑踏に紛れ込めば、まず見つかることはない。
そう思い足を止めれば、予想通り追手はいなかった。
「はあっ、はあっ…やった、ぜ…」
まるで難関不落の牢獄から脱獄して来た様な台詞を吐く。
だが、それと同等程度の達成感をルークは確かに感じていた。単に滞在している宿を許可なく抜け出しただけにも関らずに、だ。
それは何と言ったって、ガイは過保護の鬼だからだ。
事あるごとに自分を構い倒したがる。やること、することに何でも物申すのだ。
それ故、ルークは自分一人で何かに取り組んだことが一度も無かった。
朝はガイに起こされる。ガイが用意した服に腕を通し、寝ぼけ眼で席に着けば朝食が置かれる。
買い物に出れば当然ガイが供に付き。夜は褥でたっぷりと甘やかされた後、ガイの添い寝で眠る。
それが日常茶飯事であった。
はっきり言えば煩わしい。でも同時に心地良いものでもあった。
恋人としてはガイの気遣いが凄く嬉しかったし、とても感謝もしている。
だが、一人の人間としては―――ガイの親友としては悔しかった。
過保護なのは、甘やのは、自分を認めていないからだ。そう認識した瞬間、悔しくて悔しくて仕様がなかった。
甘やかされるだけではもう足りなかった。
一人の大人の人間として見て欲しい。ガイに頼りにされたいと、頼りにされる人に成りたいと強く思った。
ルークのガイへの愛は、其処までになっていた。
それ故自立の第一歩として、まずは一人で買い物に出かけるという目標を立てたのだが。
思ったよりも、子供っぽい行動になってしまったことをルークは悔やんだ。
でも、まあ。目的は果たせるのだ。一先ずは良しとしよう。
ルークは自分の行動を肯定的に思い直すと、街中へ一歩踏み出した。
「甘やかすのは…布団の中だけでいいのに…」
誰にといわず呟いた大胆な言葉にルークは頬を赤らめながら、声と共に雑踏の中へ消えていった。
2008.5.17