今では名も知らぬ愛しき彼の人の亡き故郷には、この白い花弁が沢山舞っていたらしい。

遠い昔に聞いた話を彼女は今も鮮やかに覚えおり、まるで見て来たかの様に雄弁に話す。

ただ、それが誰の口から語られたのか、彼女の記憶にはなかった。









Silent love 6









自然の要塞と云われる、キムラスカ・ランヴァルディア王国一栄える都。

首都バチカルの港に己が艦を付けると、ジェイドは常と同様にその足で都市の最上階にそびえる公爵邸へと向かった。

三年前のあの戦いの後、授与された高官の座を即座に蹴り、再編成された第三師団師団長の位にジェイドは再び就いていた。

彼の功績のみでなされたことではないが、世界の命運を決めるあの戦いで、

ほぼ壊滅状態に陥った第三師団も今では最盛期と変わらぬ兵力を誇っている。

現在では、キムラスカ、マルクト両国の和平関係はほぼ完全なものとなりつつあり、国軍同士が合同演習を持つ程になっていた。

そんな中、キムラスカ国軍元帥であるファブレ公爵からマルクト帝国軍、正確にはジェイド率いる第三師団に

災害救助の合同演習の申し入れが三か月前ほどにあったのだ。

その任をジェイドは自ら進んで引き受け、隣国のキムラスカ王国によく訪れる機会を得ていた。

全てはこの公爵邸に定期的に訪れる為である。









「まぁ!ジェイド!!今日が訪問の日でしたの!?」

慣れた様子で、ファブレの屋敷の門を守る白光騎士にジェイドは挨拶を送り、邸内に身を滑り込ませた所で丁度彼女に会ってしまった。

それに顔には出さないが、失礼ながらも正直来る時間を少し誤ったと内心ジェイドは思う。

あまり認めたくはないが、どうも自分は少なからず王族という類の人間に弱いらしい。

あの不良皇帝といい、この高飛車王女といい、己らしくもなくペースを乱されることが多々ある。

もちろんこの事実はあの子供にも当てはまっていた。

頭を抱えたく思いつつも、それでは更なる糾弾を受けると思われ何とか止まり、

ヒールを鳴らしながらこちらへ歩み寄って来る王女を緋色に映した。

「問診に来られそうな日は、私に連絡する。そう貴方の副官に言付けを申し付けたはずなのですが…お聞きになって?」

「これは申し訳ございません、ナタリア殿下。確かに副官からそのお話は耳に入れていたのですが…

何分多忙で、忘却してしまったようです。嫌ですね。年には勝ぬものですねぇ」

問いに返された、常では既に発することが考えられない程の尊敬語を用いたジェイドの言葉に、ナタリアは形の良い眉を寄せた。

「その口調から察するに…覚えていらっしゃいましたわね」

そして瞬時にジェイドの恍けをを諭す。

「いやいや。そのようなことはございません」

「いい加減になさったらどうですの」

ナタリアの眉間の皺が濃くなったことを目に入れ、これ以上引っ張ることは好まれたことではなさそうだとジェイドは引き際を悟り、一息をついた。

「連絡が出来なかったことは謝りますよ。しかし、私の訪問は一応軍事機密の部類に入るものなので。その辺を悟って頂きたいものです」

「それは…申し訳ありません。わたくしの思慮不足でございましたわ」

「いやいや、分かってくだされば結構です。……相変わらず扱いやすい方ですね」

「聞こえていますわよ……何か仰いまして?」

「なんでもありません?」

「まあ!白々しい!!」

そうしてファブレ家邸内では、王族にも関らず大口を開け一方的な口論をなす王女の姿と一見穏健な態度であるがその発する言葉を聞けば、

遠まわしに相手をけなしている隣国軍人の、聞くに堪えない押収が響くのであった。







「彼女の、様子はいかがですが?」



その押収を暫く楽しんだ後、先程までのふざけた態度を一変すると、ジェイドは直入に本題を切り出した。

いきなり訪れたそれに、ナタリアは一瞬目を見開き曇った表情をすると背を向けた後、重き口を開けた。

「元気そうですわよ。とても明るくて無邪気で、可愛らしくて。…それでいて、きちんと過ちを覚えて悔いて、受け止めていて。

国を…民を憂う為政者として恥じない立派な志もお持ちになっています。…本当に、三年前とちっとも変っていません」

私達が強く魅かれたあの太陽のような方のままです。それを語るナタリアの横顔には語る人に対する誇りと敬意に充ち溢れていた。

だが、続く言葉を口にした時それに陰りが帯びる。

「…ただ……やはり、彼のことだけは……」

「覚えていない」

ジェイドの発した言葉にナタリアは沈黙をもって肯定を返した。

その表情は彼女らしくもなく陰りを帯び、事態の深刻さを物語っていた。

それにやはり己の杞憂に過ぎなかった、ということはなかった事態を悟る。思わず深い溜息が出た。





「彼女は、今こちらに?」

「今は、アッシュと中庭でお話になっていますわ。…お会いになって」

「そうですか…。明日にしておこうと思いましたが…会って行きましょう」

そうして、節目がちになっているナタリアの不安を軽減させる為に予定を変更し、彼女を促し中庭へと足を向けた。





「あ…そういえば…」

中庭へと続く、扉の取っ手に手を掛けた時であった。

不意にナタリアが歩みを緩め、言いにくそうに口を開いた。

「ひた隠しになさっているから、私が話してもよいものなのかは分かりませんが…。実は本当に微々たるものの様なのですが、

少し体調が優れないみたいですわ。人目が無いといつも身体を動かすのを辛そうになさっていますの…」

その口から語られたのは、彼女の身体に対しての怪訝。それは決して軽視出来ない内容のものであることは明らかであった。

何せ、彼女には三年前のあの事象がある。







音素乖離。







それはレプリカである彼女にとっては、命に関わる。

「いや…ですわね…。そのようなこと…そのようなこと……!」

その言葉を強く意識したせいか、ナタリアの震えが強くなる。

その内なる心情を悟ってか、ジェイドも双眼を潜めた。

もし彼女の身に再び乖離現象がおきれば、再び彼女を失うような事態に陥ってしまったら、

あの時を共に生き抜いた仲間である自分たちも、あの男のように憧憬に狂ってしまうかもしれない。

置いて行かれる悲しみを再び味わいたいたくない。

何より、再びひとりで逝く悲しみを、孤独を彼女に負わせたくなかった。

三年前。

彼女に出会ってしまったことで、随分と人間になってしまったものだとジェイドは自嘲した。

だが、それも悪くない。そう思えるようにしてくれたのも、他でもない彼女であった。

その貸しを返すべくも、なんとしても彼女を救う。そう義務付けたのは、他でもないい自分自身。

神は信じなくとも、己に立てた誓いを破る程愚かではないとジェイドは自負していた。



だから。





「分かりました。その辺のところを詳しくうかがっておきましょう。………まあ、どうせ彼女のことですから食べ過ぎ、なんて落ちも考えられますが」

ナタリアを安心させるように軽口を叩くと、気遣いと知ってか彼女は表情を和らげた。

ジェイドはそれに笑みを返すと扉を開く取っ手を開き、中庭への道を開いた。

途端、青々とした木々の芳香が鼻腔に香り初夏を思わせる。

計算し尽くされよく開けた庭の奥に、木漏れ日が柔らかく差し込む程度に光を取り入れられる場にテーブルセットが置かれていた。

そこに、網膜に焼き付くような鮮烈な赤がいた。

緑の中にあったそれはとても栄え、常よりも美しく感じる。

ずっと見ていたい。

そんな己らしくもない願望が胸の内に過った時だった。その赤の一方が不意に揺れた。

椅子が音をたて引かれ地面を蹴る音が鳴り、それが近付く。







「久しぶりだな、ジェイド!!」









そうして緋色の眼前に姿を見せたのは朱金の髪、翠緑玉の瞳を携えた彼女。











ルークであった。











追い求めたその姿は。

2008.4.13