大地を凍らせる季節にだけ咲く白いそれは。 見ている者の心を温めるのにも関わらず、焦がれ触れれば夢か幻の様に瞬時に 消え去り絶望に近しいものを与える。綺麗なものには毒がある。まさにこの言葉 がぴったりであると、思い嘲ったものだった。 だけど、そうと知りつつも。 彼の白は本当に真白で。あまりに綺麗過ぎて。 いけないと思いつつも手を伸ばし、躊躇し。 そしてまた手を伸ばし、何度も何度も伸ばし。そして遂には触れてしまった。 己の手の中に抱き込んでしまったのだ。そして、彼の純白も他に例外なくみる みる融けて己の手から零れ落ち、やがては消え去っていった。 失った事実に得た絶望は想像を絶するものであった。 その喪失感から長い月日、ふぬけのように暮らした後に気が付いた。 そうやって泣いて、絶望したのは触れた己のみではなかったということを。 霞の様に儚く消えた彼の白もまた、消えることに絶望と深い悲しみを感じてい たことを。 そうしてあの悪しき出来事の根源が、己にあった事に漸く気付く。 あの時、遠くから見ているだけにしておけば。 見守るだけに徹せられる、強い男であれたならば。 けして手を伸ばさず、触れなければ。 彼の白は今も此処にいたのかもしれない。 後悔に、また塩辛い水が零れ落ち、慟哭した。 それでも彼の白は触れてくれて嬉しいと。温めてくれて嬉しいと言っていた。 夢を望む君に願う 帰宅を急ぐ夕暮れ刻。帝都を包む空気は冷えて、空は雲に覆われ低かった。 足下に白い紙切れの様なものが舞い落ちたのに気付き、己の服から落ちた塵 のようなものかと思い、俺は屈んで其れに手を伸ばした。 指先が触れた瞬間、それは形を失い、跡には水粒が残り石畳に染みを作るも のであった。 それに物体の正体を知る。 気が付けば周りの空には、消え去った白と同様のものが舞っていた。 今年もこの季節が来たのだ。 オールドランド最大の歓楽地があり、多くの有数貴族が別荘を持つ雪の都ケ テルブルク。一年中銀幕の世界が広がるこの地に長期休暇をとって訪れるの は、今年で3度目であった。 滞在先は昨年の終りにこの街の外れに持った、別荘となる屋敷である。 維持費のかかるそんなものを持たなくとも、この地には皇室御用達にもなっ ている最高級のホテルがある。そこで己の家以上の持成しを受ける事も出来 るのだが、あの旅での『彼』との思い出が詰まった其処に立ち寄ることに苦 痛を感じ避けたく思い、別荘を購入したのだ。 彼を、思い出を求めて毎年やって来ているというのに、思い出す事を拒むと は。我ながらおかしな男だと思った。 「お待ちしておりました」 慣れぬ道に戸惑いながらようやっと屋敷に辿り着き、鈴を押せば即座に執事 が出て来る。そして不躾にならぬ程度の歓迎の辞を述べた後に、荷物を預か りますの言葉を封切りに執事の業務を率なくこなした。 初老を迎えたくらいの年齢に見えるこの男は、この屋敷の購入と同時に雇っ た。その仕事は完璧で、老成された落ち着いた物腰は名門を思わせる。 出来た男だと思った。こんな一度没落した貴族の館の執事をやらせておくに は本当に勿体無いと思う。だが致し方ない。 彼を雇う契約を持とうと思ったのが、この街では己のみであったのだ。 有能であるのにも関わらず、この男を誰も雇おうとはしなかった。 ただレプリカであるというがゆえに。 「ちょっと、出て来る」 訪れて直ぐに外出し帰宅時間も知らせぬ、不作法な主人に詮索もせず、彼は 忠を尽くした礼のみで送り出した。 日暮れと共に辺りは例外なく暗闇に包まれ、音素灯のみに街は照らされてい た。青白色のその光は雪を銀色に光らせ、その白さを引き立てより輝くもの にしている。 ここにあの赤があったらどんなに綺麗だろう。 一年を通して溶けることのない雪の上に、更に積りゆく重さを感じさせない それらを見ながら思った。 いつからだろう。 あの特徴的な鮮烈な赤い髪を携えているにも関わらず、彼を思い描く際、よ く白を持ち出すようになったのは。 出会った頃はあんなにもあの赤にあの日を思い出したのに、いつの間にかそ の罪の無い無垢な様に目を奪われていた。 心を奪われていたのだ。そうして、柄にもなく願ってしまったのだ。 それがあの結末を招く要因のひとつだったとは露知らず。 愚かさに思わず嘲笑が零れた。 中心街から更に離れる道を行くと、増築年が新しいことが覗うことのできる 建造物が視界の端に映るようになった。近付くことで分かるのは、その建物 の壁の白さ。そして、その高さと厚さのみであった。 三年前に締結されたレプリカ保護条約。その過程で生み出されたのがこの白 い壁とその奥待った場にある収容所である。 主要な都市の町外れには、必ずある施設であった。 ここに知識を持たず言葉の無い、各地を徘徊するのみであるレプリカを保護 し教育して社会に送り出すのだという。 だが、実際は。そんなに世の中は上手くできてはいない。 あの幼馴染の王女の出した答えがこれなのか。この施設の建造が決まったと き、はっきり言って彼女に対して憤慨の念と失望を覚えた。 民の事を想い、更には優れた為政者だと思っていたあの王女のなしたことが これとは。 正直、呆れてものも言えなかった。 思考に浸り、壁の外で突っ立ているその間にも施設の中からは金属の鳴る音 と低い慟哭が響いていた。 既に保護施設とは名ばかりになり、ただ捕獲して連行し、知識を中々身に付 けないレプリカには厳しい罰を与えるだけの、収容所になり下がっていた。 レプリカを知らないものがレプリカの教育をなす。 その事実だけで、こうなることは火を見るよりも明らかに目に見えていた。 ただえさえ、世間一般で恐れの対象とされている彼らに、何も知らない奴ら が接近するのだ。そうして過ちが繰り返される。 止むことのない悲痛な音に耐えられなくなり、その場をあとにする。 囚われている彼らに、遙か天に召す彼にどうすることも出来ない力無き己の 不甲斐無さを詫びながら。 降り積もったあし新雪に新たな足跡が付く。去り際、振り返り目に入れたそ れは己のなした新たなる罪の象徴の様に深く跡付いていた。 「着いた…」 そうして、再び歩み着いた場所はこのケテルブルクで一番高所にある公園だ った。昼間ならば、ケテルブルクを囲む白銀に染まった山々が展望でき、子 供が戯れに雪遊びをし、人々が行き交う憩いの場となっている。 しかし、空がすっかり闇色になった今現在、通り抜ける者もおらず本当に己 ひとりのみの空間となっていた。 降り積もった雪に構わず、公園内に設置されている長椅子に俺は腰をおろし た。 (ルーク…) ここは生前、彼が好んだ場所であった。 瞳を閉じ、感覚を閉ざし名を想えば己の記憶にある彼に、まるで本当に今こ こに彼がいる様な錯覚を得る。 (ルーク…) 記憶の中のルークはまるで現にいるようで。俺を悦ばせた。 幻と知りながらも、俺は何度もその影に縋り追いかけ、返事のない問いかけ を繰り返した。 (ルーク…!) 愚かと知りながらも、今日もそれを繰り返す。 ルーク。お前は本当にこれで良かったのか? 世界はお前をただ綺麗な英雄に祭りあげ、お前の犯した罪を、お前の抱えた 苦悩を見て見ぬ振りをしてなかった事にし、完璧な存在としてしまった。 立場に苦しみ、無力に悲しみ、それでももがき、悔しさに喘ぎながら生き抜 いたお前の生を世界は偽りの偶像にしてしまった。 そしてお前があれほど願ったレプリカへの平等は、恐れに僅かな憐憫が加わ っただけで根本は変わらず、保護施設にいたっては差別を助長するものにな っている。 「なあ。こんな世界を救って良かったのか…?お前は…本当に…」 この世界は、お前の命と引き換えにするほどの価値があったのか? ケテルブルクの雪は深く、冷えた温度に澄んだ空気が紡いだ言葉を空間に響 き渡らせる。この空気の震えにしか過ぎない振動が、お前のいる処まで届け ばいいのに。柄にもなく、そんな非現実的なことまで願ってしまうようにな っていた。 彼がいないだけで、こんなにも弱くなってしまった。 『ガイ!おい、雪だぞ。雪!!』 初めてみる雪にはしゃいでいたあの日の彼が鮮明に思い出される。 『本当に、白くて冷たいんだな…。』 白くて冷たそうに見えて、実は触れると暖かいそれも俺は知っていた。 『綺麗だな…』 七年間。一点の穢れもない綺麗なそれはずっと俺の傍にあった。 『お前、雪はかき氷に似てるってガキの頃おれに教えてくれたけど、どこが だよ!』 シロップでもかかっているとでも思っていたのか。そう問うと図星を指され たようで真っ赤に頬を染めていた。 『ガイ!ガイ!!』 ここに来ると、思い出の中のルークのあの表情が、感情が鮮やかになり走馬 灯のように過ぎ去ってゆく。 普通、走馬灯っていうのは自分の思い出が流れるものだが、どうやら俺のは ルーク仕様になっているらしい。 それに悦びと嘲笑に声が零れた。同時に頬を濡らしたのは雪ではなく、生温 い水であった。 いっそ本当に走馬灯になってしまえばいいものを。 限界だった。 彼のいないこの世界で息をすることはとても苦しくて、つらい。 それくらい、愛しかった。それだけ、愛していたのだ。 思い出には、思い出だけには決してしたくなかったのに。止めたいのに、時 間がそれを許してくれない。 「ルーク…」 久しぶりに音にした、その名に胸が締め付けられる。 苦しくて、苦しくて仕方が無かった。いっそこのまま、意識と一緒に呼吸す ら奪ってくれればいいのにと何度も思った。 この三年間、返事のない問いかけを幾度してきたのか自分ですら把握してい ない。 「ルーク、…ルーク…」 それ程愛しい。狂おしい程に恋しい。 返事のない問いかけを、壊れた玩具のようにただ、ただ繰り返すことしか出 来なくなっていた。限界だった。もう、とうにはっきりしていたのだ。 彼のいない世界を己には愛することは出来ないことが。それでも何度も愛そ うと努力した。彼の愛した、彼の残したものを必至に愛すことに努めた。 だが、何も変わらなかった。 それどころか、お前を奪った世界に憎しみすら覚えるようになっていた。 破壊を望むほどに。 違う。それはいけない。それをなすことは、彼の命の引き換えに救われた世 界を壊すことは、彼の命を否定することだ。 それだけは、絶対にしてはいけないことであった。 それでも。 募った想いに、至った考えにいてもたってもいられず、俺は長椅子から腰を 上げ、公園の中心まで歩み、縺れた足に従い、雪の中に身を沈めた。 「ずるいよ…ルーク…」 お前は本当にずるい。 勝手に俺を闇の淵から救い出し、勝手に一人で逝ってしまった。残された俺 に選択肢を与えてくれない。命を賭け俺を愛し、その楔で俺を生に縛り付け た。でも、もう。 大地を覆うこの無垢なる白は、どのくらいの罪を隠してきたのだろう。 きっとそれは俺のような脆弱でちっぽけな人間には推し量れぬものなのだろ う。別に知らなくてもよかった。 重要なのは、その容量にまだ空きがあるかということなのだから。俺のよう な小さい人間の抱える罪だ。それくらいを受け入れる処はまだあるだろう。 そう勝手に結論付けた。 そうして背に感じる積った雪に、身体の下に敷いた温度のない厚いそれにこ のまま身をまかせようと瞳を閉じた。 その時。 「 」 「―――――っ!!」 瞬間、身をまかせた雪の寝台から身を起こした。そして自覚する前に俺は立 ち上がり、気付いた頃には公園から出て街を飛び出し、ケテルブルクの野山 の中を走っていた。 偶に野生する木々にぶつかり、銀の粉が中に舞う。その粉に服が濡れたが、 俺は構わず走った。 耳に確かに聞こえたのだ。 もう随分と聞いていないあの声が。あの愛おしい声が。 確かに俺を呼んだのだ。 そうして行き着いた先で、目に映ったのは。 白い雪原に不自然に咲く、一輪の赤い花弁の花だった。 乱れた呼吸を整えながら、久しぶりに全速力で走り震える足を叱咤しながら 一歩、また一歩近付いた。 そうして傍に膝ま付けば、より一層その赤があの赤だということが鮮明になる。 「はは…ははは…はっ…―くっ、る、く…!」 笑ったつもりだった。だが、頬を伝っているのは確かに涙といわれる水で。 それでも確かに俺は笑っていたのだ。 悩み、苦悩した日々が馬鹿らしくなってくる。 彼のいない世界は愛せない。彼がいないと生きていけない。 そう思うこと自体が、全て無駄の境地だったとは。思いもしなかった。 まさかこんなところに。 「こんなところに、いたんだな…。随分探したんだぞ」 そういえば彼がかくれんぼが上手かったことを思い出す。その思い出は優しか った。 彼との思い出はこんなにも、優しかったのだ。 「行こうか。ルーク」 歩きだした手には、彼の存在の証があった。 もう、思い出を想っても胸が痛むことはなかった。 彼に会いに行こう。 この世界のどこかにいる、どこにでもいる彼に。
何か暗い話ですいません。久しぶりの更新でこれかよ。 て感じがしますがお許し下さい(汗) というかコレ、お礼文にしていいのか。 疑問の残るところです。 えっと、とっても分かりにくいので補足しておきますが、この話では 雪=白=ルークみたいな感じです。いやなんか雪を見るとルークを思 い出すガイみたいな話を書きたかった訳であります。 今年も一応は雪が降ってるな〜と思い書き始めたのですが。 例により脱線し、最終的にはなんだこの話。的なものになっちゃった 訳です。(汗) というわけで、一番分かりにくいラストの説明をいたしますと(説明 が必要な時点でダメダメですね)、ルークが世界になった事をガイは 悟り、ようやく世界を愛せるようになる的な話でございます。 う〜ん。オチも予定と大分違いますしね。 予定では、花を見たガイはルークが戻って来ないことを知り、後追い 自殺する予定だったのですが…。 せっかく世はヴァレンタインなので一応はハッピーエンドにしておき ました。 この話だけではもの凄く分かりにくいのでいずれ、ルーク視点のもの を書こうと思います。 というかこの話、視点が第三者なのか、ガイなのかよく分らない… とにかく、「1111HIT」ありがとうございました。 2008.2.10 ブラウザバックでお戻りください |