1.ヌルい関係



一体、何時までこの関係は変わらないのだろう。



一体、何処までこの距離は埋まらないのであろう。











「はあぁぁぁぁ…」

数歩先を行く己よりも頭半分程低い少女の背を見ながら、ガイは自分と彼女の現在の心友という微妙な関係に、

不毛な思考を巡らせながら隠しもせずに盛大な溜息を吐いた。

前を行く少女、ルークは其の男の態に気付きもせず、肩口で切り揃えられた夕焼け色の髪を揺らしながら歩みを進めている。

その愛らしい後ろ姿を目に入れ、ガイは再び深く息を吐く。



男女の間にも友情は成立する。



まるで思春期の少年が、想う相手に対して感情を押し込める際に使う様な陳腐で幼い言い訳。

其れが一瞬ガイの脳裏を掠める。

己の思考にげんなりしながらも、世が認めるそれはガイも認めるし、ついこの間まで自分がルークに抱いていたものも其れと、

友情と、疑わなかった。

だが、外部と触れ合い、世界を知り始め変わった彼女を目の当たりにして自分の言い訳に気付いてしまった。



屋敷に軟禁されていた頃、深窓の令嬢であったルークの世界は己唯一人であった。

服を着せ、食事を与え、言葉を教え、愛情を注ぎ親愛を与え、いつも傍にいた。

ルークの世界は自分が創ったのだ。

そんなガイにルークは絶大な信頼を置き、いつしかガイ以外に興味を持つことがなくなっていた。

それほど近しい処に居ながらも、いや居たからこそルークに抱いている真の感情に気付く事が出来なかった。



気付く必要がなかったのだ。



屋敷という狭い鳥籠にいたあの頃ならば、復讐者であろうとも、親友という関係を崩さなくとも、ルークと抱き合う事はいつでも出来たのだから。

ルークの身体を求めれば、いつでも自分のものに出来たのだ。

何せ、あの頃はルークの心の中には己しかいなかったのだから。

其れが今ではこの状況だ。

大罪を負い、変わろうと決意した瞬間にルークの心には多くの者が住まい、信頼を勝ち得た彼女には心から笑い合える真の友人が多くでき、

自分はその中の単なる一人になってしまったのだ。

そう、もはやルークの中で友情は特別な、本当に特別なものではなくなってしまっていたのだ。

其れを自覚した瞬間、ガイの身に激しい動機が走り、ルークに冷たい感情を抱いた。復讐心から来るものでは無い。

もっと醜い、醜悪な。





嫉妬だ。





そう頭の悪くないガイは己の内にあるこの嫉妬心が何処から来たのかを直ぐに悟る事が出来た。

変わっていたのだ。

友情が恋情に。憎悪が愛情に。

自覚したらもう止める事も、隠す事も出来なかった。

だから今も彼女に取り入ろうと、買い出しの付き添いを強引に引き受け、其の身を治安のあまり良くないこの街に常在する卑しい感情を抱く男達から、

己の視線で、態度で守っている。

度々この様な気遣いを重ねた結果、何でも相談できる心の友という友情の中でも特別な地位を手に入れる事は出来たが、

其れを手にしてもガイは満たされる事は無かった。

友愛という優しい感情ではとっくに足りないのだ。

そんな事はとうに解っている。

今この瞬間にも、前を行く彼女を掻き抱き心身を自分のものにする浅間しい欲望の幻覚を瞳の中で見るのだから。









「どうしたんだ、ガイ?」

「えっ!ああ!!」

不意に掛った声に必要以上の驚きを覚え、ガイは上擦った奇声を上げた。が、驚愕の原因は其れに止まらなかった。

どうやら深淵の思考に囚われているうちに無意識に歩みが止まってしまっていたらしい。

それに気付いたルークが引き返して来たようだった。

彼女が自分を迎えに来てくれた。そんな優しい行動に恋情が擽られるが、淡い其れは現在置かれた自身の状況に一瞬で吹き飛んでしまった。

掛けられた言葉に下がった視線を上げれば、ルークの顔が己の其れの至近距離にあったのだ。

それも己が僅かに屈めば彼女の唇に触れられるほどに。

「いきなり往来の真ん中で止まって、迷惑だろ」

己の眼鼻のすぐ先で、愛しい少女の淡い桜色の唇が言葉に沿って形を変える。

「ぼうっとしてるなんて、らしくないぞ?」

それはまるで誘っているかの様にしっとりと濡れていて。

「どこか具合でも悪いのか?」

風に乗って香る、甘い香りも相俟って鋭く官能が刺激される。

「ガイ?」

とうに彼女の声は遠くに聞こえ、ガイの思考は自身の欲望に占められていた。

「ガイ?」

「っ………!!」

再びルークの口から紡がれた自身の名に、ガイは理性の箍が外れたのを感じた。

そして――――。




「ルー……?」

「もう、しょうがねえなあ」

「は?」

柔らかそうなルークの唇に噛み付こうと屈んだ瞬間、ガイの視界から彼女の顔が消え、

気付いた時には自身の腕にあった荷物がルークの手にあり、彼女自身はガイから半歩程離れた場所に立っていた。

これは一体どういうことなのだろう。

遂今しがたまでルークは己の腕の中とそう変わらぬ所にいて、あと少しで本懐を遂げられる状況にあったのに。

それなのに今現在ルークは自分から距離をとった場に居り、何故か自身から荷物を取り上げている。

ガイは今自身が見えている状況について行けず茫然と立ち尽くしていた。



「お前、具合が悪いなら最初に言えよな」

「え?」

ガイが置かれている心情に気付かず、何も言わず立ち尽くすガイに、ルークは焦れた様に言葉を掛けた。

「それなら無理について来なくても良かったのに」

「え、え?」

ルークに掛けられた言葉にガイは漸く、この状況に合点が行く。どうやら彼女は挙動不審な己に、

体調が芳しくないのであろうという解釈をしたらしい。

その自分を気遣い荷物を取り上げて持ち、帰宅の迅速を図ってくれているのであるのだ。

理解するのと同時にガイは正気を取り戻し、ルークの其の態に悦と情けなさを感じた。

(俺って…最悪…)

下心付きだが、彼女を助ける為について来た自分が逆に気遣われ、更には迷惑を掛けている。

好意を寄せている女性に迷惑を掛けるとは、我ながら何とも情けない。

しかも彼女には害にしかならない感情まで向けている。

無理矢理に奪ってでもルークを自分のものにしたいのか。

時間を掛けてルークに好かれたいのか。

今の自分の行動は両者共に反している。一体自分は何がしたいのか。

こんな事では彼女と男女の相愛の仲になることは一生涯無いであろう。

暗い思考に囚われる。







「ほら、行くぞ」

「え………ルーク…」

救いようのない自身に呆れ、自己嫌悪に陥っているガイに不意に声が掛けられる。

剣を持つにしては華奢で滑らかな曲線を描く手が差し出されていた。

照れからか、顔を僅かに赤らめながら手を伸ばす夕陽の陽光を浴びた其の様はとても綺麗で。



初めて出会ったその時からあったそれに、救われ続け今の自分がいる。















光を見た様な気がしたんだ。









「ああ、悪い。行こうか」

「おう!」

ルークに頷き、その手をとって歩みを始める。

其の愛しい感触に顔が綻ぶ。心が満たされる。

「というか、荷物貸せよ」

「お前、具合悪いんだろう。気にすんなよ」



焦る必要なんてない。



「いくら体調が悪くても、お前に力負けすることはないって。それくらい持てるよ」

「ああ?言ったな。じゃあ帰ったら手合わせしてもらおうかあ〜?」

「いいよ。俺が負けることはないから」



今はこの生温く、居心地の良い関係でいいじゃないか。



「俺だって、へばってるガイなんかに負けないんだから!」

「言ったな。じゃあお手並み見せてもらおうかな?」

「ああ!じゃあ早く帰ろうぜ」



ルークは再度ガイを振り返って手を取り直し、先を行く。指先から伝わる温度に幸福を感じる。

焦る必要は無い。だって彼女はこんなに近くにいる。いてくれる。彼女は何時だって歩み寄ってくれた。

何時も傍にいてくれた。





だから今は。







どこか擽ったい、この関係をもう少し楽しもう。






かっこいいガイが書けません。
何故だかいつもヘタレ落ちです。
ガイはヘタレだと思いますが、たまには何事も爽やかにそつなくこなす彼を書いてみたいものです。

2008.1.4