「ルーク、おめでとう」

せっかく祝いの言葉を言っているのに、目の前にあるルークの顔は白を越して蒼白だった。

「お前の胎には俺の子どもがいるんだ」

昔からルークが好んでいる笑顔で、出来るだけ優しい声を作り、身に起きてることを教えてやる。

「こんなに早くできるとは思っていなかったけど…毎日あんなに愛し合ったもんな。

もう、お前ひとりの身体じゃないんだから、気を付けろな」

なんなんだよ、その顔は。

俺が悦びの言葉を口にする度に、無くした表情を絶望に染めていくルークが可笑しくて。

「お腹の子も大切だけど……俺にはお前が一番大事なんだから」

封を切ったように、ルークの瞳から流れ出した涙を舌で拭いながら、俺は細く笑んだ。









コノ冬ハキット、紅イ雪ガ降ル。









世界で唯ひとり君を愛す 5











丁度、真夜中を過ぎた頃。

白光騎士団騎士イヴン・バットゥータは騎士団の簡易休憩所に詰めていた。

それも、もうそろそろ屋敷の警備の交代時間であるからだ。

ファブレ公爵家の私兵である白光騎士団の勤務は八時間交代で行われている。

イヴンの勤務時間帯は深夜過ぎから明け方日が昇った後まで。時計は間も無くその交代時間を指し示そうとしていた。

今年入団したばかりである新兵のイヴンは、一番のしんがりである門の警備を真夜中に勤めている。

若輩であるからことから当然の選定なのだが、正直に言えばきつい任務であった。

どんな天候に見舞われようと、休むことは許されないし、門前から離れることは許されていない。

以前、先輩騎士にそこの勤務環境の悪さに愚痴を零したことがあるが「お前はまだまだだ」と説教されて終わった。

その様な軟弱な意識が隙を作るのだと。門番は屋敷警護の要であり、最も誇りを持って任に就くべきだとその騎士は言った。

そして最後に、その要である場を守ることを許されていることに、騎士としての誉れを感じると騎士は笑顔で語っていた。

その様はイヴンの目にとても眩しく映った。

そう諭されて以来、イヴンはどんな任務にも不満を漏らさずに取り組んでいる。

一日も早くあの騎士に追い付き、お館様の役に立ちたいと願うからだ。

だから、どんな厳しい訓練にも、過酷な任務にも挑む覚悟があった。

しかし。

「これは…ないよな……」

窓から覗える今夜の天候には、普段我慢している愚痴も思わず零れ落ちてしまう。

季節はとうに冬に入り、温暖なバチカルでも降雪する時期になった。

雪が降ることは分かり切ったことではあったのだが、今年は珍しく豪雪で、既に雪は地を埋め尽くしている。

零下の中での警護は常の倍以上にきつい任であるのに、この雪では更に厳しいものとなるだろう。

頭には次から次へと不平が浮かび、口をついて出そうになるがイヴンはぐっと堪えた。

これも立派な騎士になる為の勤め。

幸い、この季節は野外での警備は一時間交代となっている。

たった一時間の辛抱だ。そう自分に言い聞かせ、イヴンは重い腰を上げる。

そうして交代の時間が迫ったことを確認し、イヴンは同期の仲間を促して、暖かい詰め所を後にした。







玄関の重厚な扉をイヴンは二回打ち、外で警護している仲間の騎士に交代を知らせた。

それに外にいる騎士も二回扉を打ち付けて応え、漸く扉を開く。

この屋敷の扉が外から開かれることはまず無い。

使用人達の間ではこの様な合図が決められ、自分の身を証明し、扉の開閉が行われていた。

本来、屋敷に仕える者が正門を使う事は許されていない。

だが、白光騎士だけにはそれが許されている。それは身分の高さを表わしていた。

「ご苦労様です」

直後、開いた扉の向こうから前勤務時間の騎士が、慌てて屋敷に駆け込んで来た。

余程寒さが堪えたのだろう。返事もそこそこに屋敷の奥へと姿を消していった。

一瞬その態に物怖じしたが、イヴンは気を持ち直し外界へと扉を潜った。

外は予想以上の寒さだった。吹き込む風に防寒具の前をイヴンは思わず寄せる。

大理石を敷き詰められた地面はとうに雪に覆われ、辺りは真っ白に染められていた。

たった一時間の辛抱だ。再び自分にそう言い聞かせ、警備の定位置にイブンは立った。



どのくらいたったときだろうか。気付けば、風の勢いが和らいでいた。

それに促される様に厚い雲の間から月が顔を出し、辺りを優しく照らす。

イヴンの目に映ったのは、まさに銀世界と云われるに相応しいものであった。

なんと美しいのだろう。

見る者の心を奪うその情景はイヴンのものも例外無く浚い、目線を上へと誘った。

前方がイヴンの視界から逸れたその時だった。



どさり。



静かな夜には似合わない、在るべきで無い音が辺り一帯に響いた。

イヴンは瞬時に現に戻り、耳を効かせ、すぐさま音のした方へと駆け寄る。

「何奴っ!」

そうして眼に捉えた人影に向かって、手にした槍を突き付けた。こんな夜中に立ち歩くのは賊に決まっている。

そう思っての行動だった。

だが、目が闇に慣れ明らかになったそのものの正体に、イヴンは一瞬目を剥く。

雪原に身を預けるように倒れていたのは、まだ年端もいかない少女だった。

意識はないようで、その瞼は固く閉じられている。

上流貴族が住まう、バチカルの最上階で行き倒れることなど考えられなかったが、現に目の前の少女は倒れているのだ。

「大丈夫かっ!?」

イヴンは持ち前の正義感に突き動かされ、その身に手を伸ばした。

手首を取り、安否を確認すれば、確かな拍動を感じイヴンは一先ず息を吐く。

(しかし、この娘…一体何者なんだ…?)

落ち着いたところで、イヴンは当然浮かぶ疑問を思った。

最上階へ立ち入ることが出来るということは、相当の身分を持っていることが分かる。

しかし、今はまともな貴婦人が出歩くような時間では無い。

貴族を相手に春を売る者かとも考えたが、それにしては身形が良すぎるのだ。

何故か羽織っている男物の黒色の外套から覗くのは、黒絹子で仕立てられた見事なまでのドレスで。

華奢な手を覆うのは、同素材の手袋である。

真珠を散りばめられた、煌びやかな宝飾まで身に着けている其の身は、高貴さを表わしているようにイヴンの目に映った。

どこか喪服と婚礼衣装を足した様な奇妙な印象を受ける意匠だが、どれも最高級の品である。

もしかしたら、どこかの大貴族の非公式の妾なのかもしれない。イヴンはそう思った。

借金の肩代わり等で、貴族に娘が売られることは、よくあることだった。

そして、その屋敷で不本意な婚姻を迫られ、娘が逃げ出したり自害する事も。日常茶飯事のことである。

この娘も大方その筋の者であるのだろう。でなければ、こんな夜中に出歩くことに説明がつかない。

イヴンはそう結論付けて、改めて腕の中の娘を見遣った。

よく見れば眼尻には擦った痕があり、頬には涙が伝った道があった。

きっと命辛々逃げてきたのだろう。しかし、これだけの容姿だ。相手もそう簡単に見逃すことはないと思われる。

きっとすぐに追手が付き、捕まってしまう。イヴンは娘を不憫に思った。

そして、決心する。

他貴族との揉め事を起こすことは、決して好まれることではない。でも、このままこの娘を打ち捨て置く訳にはいかないのだ。

イヴンは娘の膝裏に手を差し入れ、その身を軽々と抱き上げる。

このまま屋敷に連れ帰り、家令に伺いを立て、娘の身柄を預かって頂こう。そう思っての行動だった。

そして夜が明け、シュザンヌ様にお話を持てば、きっとこの不憫な娘に情けを掛けて屋敷に置いて下さる。

何とかこの娘を助けてあげたく思い、イヴンは屋敷へと引き返したその瞬間。

急に一迅の強風が吹き、悪戯に外套を浚った。

「――っ!!」

その漆黒の外套の下から現れた髪にイヴンは目を見開く。

「ま、ま…さか…」

少女の髪は目に焼け付く様な紅い色を示していた。白い雪の中で鮮やかに広がるそれは、まるで血の様でもある。

この国でこの様な鮮やかな紅い髪を携えるのは王族、若しくはそれに連なる者のみ。

そして、当代でこの髪を持つ年頃の少女と言えば唯一人のみ。

「ルー…クさま…?」

約一年前に屋敷から拐された、ファブレ公爵家息女、ルークだった。

「…っ……」

意思とは別に口から零れ落ちた音に、反応するかの様に少女の睫が揺れ、ゆっくりとした動作で瞼が持ち上げられる。

淡い月の光に照らされた瞳は、間切れも無く翠色をしていた。少女の容姿は何もかもが『ルーク』を示していた。

「…っ!!」

それを確認した後、イヴンは雪道をゆっくりと屋敷へ歩き始める。

失踪したルーク嬢が帰ってきた。本来なら、声高だかに叫びながら駆け戻り、歓喜を表したかった。

だが、それが出来ない理由がある。

悪戯に吹いた風は、ルークの纏っていた外套全体を煽り、その身を月光の下に晒した。

そしてそれがイヴンの目に見せたものは。

常ならばありえない程に膨らんだ胎だった。その状態が示すものは恐らくひとつである。

ルークは妊娠しているのだ。

このあどけない姫は訳も分からぬ内に拐され、失踪し、凌辱を受け、その果てに身重の身で打ち捨てられたのだ。

イヴンが憐れみを含んだ視線で、ルークの顔を見れば眼が合う。

開かれた瞳は感情なく揺れていたが、止めどなく流れる涙は悲愴を示していた。

この一年どれ程辛い目に合ったのか。想像するに堪えない。

またそれ以上に、この幼い少女の将来の事が哀れでならなかった。きっと普通の幸福に恵まれることは、まず無いであろう。

哀れな我が君のことを想い、イヴンは音を立てずに泣いた。





ゆっくり、ゆっくりと、でも確実に歴史ある屋敷の扉は近付く。



そうしてやがては屋敷の中へと二人の姿は消えていった。

















ルークがバチカルに戻ってくるこのシーンがどうしても書きたかったのです。
その為には、どうしても必要だったので、嫌でしたがオリキャラを出しました。
白光騎士団にこんな人いません(多分)騎士団の制度も適当です。
名前は史上の人物から適当に取りました。
印象深く書こうとしたら、予想以上に出しゃばりになってしまいました(汗)
嫌悪された方、申し訳ございません。て、ガイが出てこない(大汗)

2008.4.20