何の飾り気もない、白い手紙が届いた。





Silent love 3







マルクト帝国首都グランコクマにそびえる、この国で最も高貴な者が住まうグランコクマ宮殿の謁見の間。

普段は多くの兵士によって守りを固められているそこは、今現在、人払いがされて密会には打って付けの場となっていた。

広く壮麗なその間にある、この国で唯一人のみが座ることの許されている所詮、玉座と呼ばれる椅子に背を預け座る男と、

そこから遠くない位置に立つ軍服に身を包んだ男のみが室内にいる。

そこで行われていた語らいは、普通の密会という場で話される内容とは逸脱しているものであった。

「最近は、殆ど眠っていないようですよ」

「そうなのか?確かに痩せたなとは思っていたが、やつれてるようには…」

「彼は手先が器用ですから。大方、化粧や薬で顔色を誤魔化してるんでしょう」

「そこまでするか?普通」

「普通はしませんよ。でも、今の彼は正気からかけ離れている。それに元々、

自分の弱さを他人に見せるのを好ましくは思っていないようですしね」

「そうか…なるほど。お前が気に掛ける訳だ。どっかの陰険軍人と気質がそっくりじゃねぇか。」

「いやいや。古狸のように悪知恵の働く、不良皇帝の性の悪さには到底かないませんよ。」

向き合う二人の男の顔には笑みが浮かんでいるものの、話の内容は聞く者が聞けば分かる互いの影口そのものであった。

面と向かって紡がれるそれらは、影口とは言えないのかもしれないが。

話の脱線が見えたところで、一見、好印象を与える作り切った笑顔を互いに下ろし、珍しく深刻に溜息を吐いた。

「いつからだっけな…。やっぱり、半年前に赤毛の坊主が帰って来たときからか?」

「ええ、まあ。正確には、彼女がこの世を去ったときからですが。著しくなったのはアッシュの帰還からですね。

彼から聞いたんでしょう。大爆発現象の原理を」

それでは絶望を感じ気が振れるのも当然だと、男は息を吐きつつ更に深く椅子に身を沈めた。

話題に持ち出されているのは、皇帝ピオニー九世が三年程前から傍に置いている伯爵位の男の事であった。

語られる声色、何時になく真剣な表情がその男の状況の深刻さを示している。

「『忘れろ』なんて言って、他の女を宛がった日にゃ、確実に首が飛んでるだろうな」

「巻き添えは御免ですが、彼はきっと私の入れ知恵だと思って、確実に私も命を狙われるので止めて下さいね」

どこかふざけた言葉のやりとりであるが、それは現実味のある真剣な話であった。

彼は信じるものの否定と侮辱を受ければ、相手が皇帝であろうとも首をとるであろう。



それだけの覚悟が彼にはある。







あの日。

二人の英雄の誕生の日。母国で故人とされた二人の、慰霊祭という形をとった成人の儀式が執り行われるという知らせが届いた。

それに今目の前にいるこの食えない己の親友とその男が皇帝名代として、隣国へと旅立った。

だが、彼らはその命に従わず行き先を変更した。

彼女との約束の地へ。

其処で男は、絶望の淵に落ちるには充分な真実と出会ってしまった。

赤毛の青年との再会によって、もう焦がれる彼の少女との再会が叶わぬ幻となった事実を知らされてしまったのである。

その日からだ。あの男が自分を見失ったのは。

いつも何処か上の空で、暇さえあれば空をずっと眺めている。まるでそこに何かがあるかのように。

その感情を映さぬ瞳は、自我喪失しているとしか思えなかった。

それでいて、普段は常人には変化が分らない様な振る舞いをし、他者の心配を寄せ付けないでいるのだ。

狂うならとことん狂えばいいものを。

その余計な要領の良さに器用なのか、不器用なのかと当初は呆れたものだった。





誰の目から見ても、状況は明らかなものであった。少女に未来がないという事実は。

それでも尚、彼女の無事を盲目に信じているのは交わした約束の強さ故か。あるいは病の様な想いの強さ故か。

いずれにせよ、他人にしか過ぎない自分には解り得ないことである。

だが、その心持が及ぼす身体への影響はけして良いものではなく、気遣うなといっても気になる。

実際、蝕まれ始めているのは明らかであった。

それを、案外面倒見の良いこの陰険軍人が性悪皇帝に告げてきたのである。故に対策を打つ為にこの密会が持たれたのだ。

「しかし…うわべの態度はしっかりしたもんだから、あんまり口煩くは言えないしなぁ」

「全く。あなたはこの国を治める者なんですよ。それ以前に大の大人なんですから。臣下の間違いくらい、咎めて立派に叱ってみて下さい」

「だってあいつ怖いしよー。それに他人に私生活に口出しする権利はないしな」

「言い訳は止めて下さい。もう彼のは私事を超えています。現に仕事はミスが多くなって、スピードも大幅に下がっている」

おかげで私は仕事が増えて過労で倒れそうですとよ容赦無い言葉の端に付けられた、

おどけた口調のそれにピオニーは笑いを誘われそれに従い声を上げた。



(こいつも…変われたんだ。こいつより出来た人間のお前に出来なくてどうする)



三年前、彼女と出会う前には考えられない変化を目の前の男も遂げていた。

当たり前のように笑い、あれ程嫌がっていたのに、他人との係わり持つようになった。

そして過去から目を逸らすのをやめ、過ちを受けとめたのだ。

幼い頃から共にあった自分でも出来なかったことを彼女はやり遂げた。

この男の傷を癒したのだ。

誰にでも出来ることではない。でも誰もが持っている感情の力を以って彼女はそれを成したのだ。

そしてその力を少なからず自分も受けていた。

世界の運命を変えた彼の少女は、其処に住む人々の心まで変えたのだ。

自然と変わったのではない。皆、意図的に自分から変わった。

だからこそ世界は良い方向に動いている。



(まいったな…借りが大き過ぎる。…返せるかなぁ…)



それでも、少しくらいは返しとかないと割が合わないだろう。





「分かった、善処してみる」

「ありがとうございます。ピオ君」

結論に至り、ピオニーが告げた肯定の意の言葉にジェイドは顔の筋肉を緩め、一気に雰囲気を軽いものへと変える。

それに打って答える様にピオニーも言葉を返す。

「やめろ。気色悪い。お前、俺を殺す気か」

「そんなに熱烈に所望されては、応える他ありませんね。では―」

「皇帝勅命だ!!今すぐやめろ!眠れなくなる!!俺に一生背後を気にしろってか!」

国の政事を担う者達がするとは思えない言葉の応対が室内に響く。

聞くに堪えない死霊遣いの呪いの言葉を遮断する為に皇帝は耳元に手を寄せた。

そこで漸く指先にある、話題の発端のものの存在を思い出し、その話題をジェイドに振った。



「しかし、あいつがあんなんじゃ、このことも言えないな」

「ええ。今のあの子に会わせるのは…下手したら逆効果です。更なる混乱を招いて彼が錯乱する可能性は否定出来ません」

ピオニーの意見に、僅かに顔を曇らせながらジェイドも肯定を返した。いや、その顔は彼にしては深刻と言ってもよかった。

実際に会って来た彼が言うのだ。状況はけして芳しいものではないのであろう。次から次へと発生する問題に、

ピオニーは眉間を寄せ息を吐いた。

「たく。余裕の無い男はもてないって、あれほど忠告してやったのにな」

嘗て冗談半分に告げた言葉を再び今この場にいない男に呟くと、ピオニーは視線を落とした。

その先には、ファブレ公爵家の印が押された蝋で封を閉じられた、上質の羊皮紙の封筒があった。





その中に納められていたのは、たった一枚の同様の素材の便箋に、たった一文。









『あいつが帰って来た』











それのみであった。









next









夢から覚める術を知らない。

2008.3.26