『ガイはいつも、遠くを見てるんだな』
通り魔の様に背後からいきなり掛けられたのは、どこか己の本質を見抜いた言葉だった。
『いつも遠くばっかり見ていて、傍に居てもつまらない』
続く言葉は容赦無く、いくら空虚な俺でも面と向かって言われると、結構きついものがあるものであった。
『そんなんだから、お前に本気になる女が少ないんじゃないのか?』
余計な御世話で下世話だ。心底そう思った。
『たまには、もっと近くを見ろよ…』
お前がそれを言うか。ふざけるな。
お前なんて気付いてもいないのだろう。
こんなに近くから、それも手を伸ばせば触れられる距離から、拒否されるのを恐れて視線しか送れない臆病な男の存在を。
「お前こそ…」
お前こそ、もっと俺を見てくれよ。その緑眼に俺だけを映せよ。一生傍から離れるなよ。
いつしか懇願になっていたそれは、いつから己の内にあったのだろう。
Silent love 5
錠の下りる音が静寂な室内に鳴り響いた。
「や、やだ…やめ、がい……―っつ!」
安宿の簡素な家具が置かれただけの二人部屋。
それに見合った曇りを帯びた古い音素灯が室内を淡い色で照らしていた。
担いでいた二人分の荷物を床に乱雑に置くと、ガイは即座に行動に移った。
湯浴みに行くと部屋を出ようとしていた少女の腕をガイは引くと、制止を振り払い、
その己よりも一回りも二回りも華奢で柔らかな身体を胸の内に抱き込む。
伝わる熱に安堵を覚え、生まれた新たな欲に逆らわずガイは背後から少女の顎を片手で捕えると、いとも簡単に口付けた。
柔らかな感触を得た瞬間、丸みを帯び、まだ幼さを感じさせる頬に生温い水が伝うのを感じる。
それに気付かぬ振りをしてガイは口付けを深いものにした。
二人の関係に、当事者のみにしか分らぬ革変が起きたあの日の夕暮以来、時折ガイは仲間の目を盗んでは、
ルークを抱き締め強引に口付けてくるようになった。
何度否定を口にしても男がそれを聞き入れることはなく、普通恋人同士が行うようなそれを何回も交わした。
それでいて公の場にあるときはガイは親友という立場を崩さない。
そうして偽りで上辺だけを固めた関係が日常となり、月日は過ぎて行った。
他者が、皆が傍にいる時は昔のガイと変わらない。変わらず笑い、変わらない構い方をする。
決してあの縋る様な眼を向けてはこない。
それが唯一、ルークの救いとなっていたことであった。
二人きりにさえならなければ、彼は昔の優しく気の合う親友のままだからだ。
ガイの普段の態度に、いつか前の関係に戻れる日が来るかもしれない、という願いを支えにルークは今日まで己を保ってきていた。
それが今日、ルークが最も恐れていた事態が起こったのだ。
「じゃあ、ルークとガイは今夜相室ってことで!よろしく」
目の前でのガイとアニスの応対に、一瞬何が起こったのかルークは分らなかった。
男と女が同室になるなど、普通では只ならぬ仲でない限りあり得ない。
だがそれが男女の関係ではないものの、ルークとガイも世間では十分只ならぬ仲に当てはまる関係にあった。
主人と使用人。
幼い頃からあるこのお互いの立ち位置に、これまで男女の感情が割り入った事などない。
あくまで主、あくまで従者である二人の間には色気沙汰などなく、ルークがその艶めかしい肌を晒し、
ガイが着替えを手伝うこともざらにあった。
アニスやジェイドなどには、二人の関係は主従にしては行き過ぎだなどとよくからかわれていたが、
有り得ないの一言でいつも片付いていた。
だが、今ではあの時と状況が全く異なっている。
明らかにガイは自分の事を女として見ているのだ。そして欲している。
自分にそんな目を向ける男と同室になることは、何が起きるかは火を見るより明らかである。
「ま、待っ…」
「行こうか、ルーク」
抗えない、絶対的な力がその何気ない一言から伝わり、最早微動だにすら出来なくなる。
顔を上げなくてもルークには分かった。今、己の前には笑っていないあの笑顔を携えたガイがいるのであろう。
今のルークに彼の顔を見る勇気など、視線を受け留める力など皆無に等しかった。
別の部屋に泊まりたいという旨を伝える前に、眼前に立ったガイに手を取られ、その言葉が口から出ることはなかった。
「ルーク…」
熱が籠った吐息が耳を掠め空に消えていく。瞬間、身体が制御できぬ震えに襲われた。
それを知ってか、ガイの腕に込められた力が強まり、その体を使ってルークを寝台へ倒した。
熱い情を秘めた冷たい色が、翠緑玉を捕える。真撃な想いを伝えるそれに肌が粟立つのをルークは感じた。
彼の事は大好きだ。
それでも、大人しく純潔を捧げられるほどの感情を抱いている訳でもない。
でも、ガイがそれを自分に求めている事が分らぬ程、子供でもない。
出来るなら、応えてあげたいとルークは思っていた。
だってそれしか自分にはガイにあげられるものがない。
幼い頃からいつも傍に居てくれて、生きる術を教え与えてくれた人。
世界を陥れ、沢山の命を奪った自分を変わらず親友と呼び、暖かな感情で迎えてくれた人。
孤独を優しく奪い取り、代わりに多くのものをくれた人。
掛け替えのない多くのものをくれて、自分は何一つ返していなかった。
彼の為に何かしたい、礼を示したいとずっと思っていた。
とはいえ、全ての真実を知った今、レプリカである己にあるものと言えば、この身ひとつである。
ここまで、考えてルークは気が付いた。
そうだ。
自分のものである確証があるものはこの身体だけで。
血で汚れきった汚らわしいそんなものを、彼は欲しいと言ってくれる。
こんな薄汚れたものを彼に渡すのは忍びないが、今はこれしかないのだ。
ルークは背に感じる男の存在に、粗末な贈呈品に謝罪の意を心内で呟き、自身の身体を一度抱き締め決意を促した。
長年の親友を失いたくなくて。
その想いはルークに決心させた。
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他の選択肢を知らない。
2008.4.2